日常生活にとどまることを挑戦と受けとめなさい。ヴィパサナが生活のスタイルになってしまってはいけない。こういったものは覚えて、そのすぐあとに忘れ去られてしまうべきテクニックであって、ただその質だけがとどめられるべきだ。花ではなくて、芳香が、そのかぐわしい香りが日常生活に持ち込まれなくてはならない。あなたはだんだんと瞑想と日常生活の区別がつかなくなってゆき、それらはひとつのものになってゆく。
普通の生活のなかに入ってゆきなさい。食べて、飲み、眠りなさい。ただ普通にしながら、自分に訪れた静寂の感覚をとどめておきなさい。何度もそれを思い出して、何度もそれを呼び覚ましなさい。何度もその感覚のなかに入っていって、それが日常生活のなかにとどまるようにしなさい。
市場の雑踏のなかで、ふとその手がかりをつかまえて、しばらくのあいだ、その味わいをそこで楽しみなさい。食べているときに、それを思い出しなさい。家を掃除しているときに、それを思い出しなさい。それを思い出したとたんに、あなたはいなくなって、消え失せてしまう。
深い自己想起のなかでは自己が消え失せる。最も深い存在の瞬間とは、不在、非存在、アナッタの瞬間なのだ。だからただ思い出せばいい。急に、稲妻のように、それが閃いて、エネルギーが駆け上がるが、あなたは同じワークをつづけている――が、同じ状態にとどまるのではない。一瞬のうちに、あらゆるものが変わってしまう。異なったエネルギー、異なったエネルギーの質が入ってくる。そうしたらまた日常生活のなかに入ってゆけばよい。
OSHO Nothing to Lose but Your Headより抜粋
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